町田 康「へらへらぼっちゃん」を読んでいます。
冒頭、『旅人、遊び人』という話に、この本のすべて集約されとるような気がする。
「遊んで暮らす」ということがいかに困難なことか、が書いてあっておもしろい。
「遊ぶ」ということも、ディズニーランドやキャンプに行ったりするような「遊び」ではなく、
車のハンドルを左右きっても5度ほどタイヤの動かないハンドルの「遊び」の範囲、
レコーディング中に苦しまぎれに踊りを踊ったら、あら、なんかちょうどいい感じ、
といった、体が勝手に動いているような感覚、のことを言う、と。
それで自分も、あぁ、「遊び」の部分でギターが弾きたい、特にライブで、遊びたい、と思うのです。
正確に言うと、「遊び」の部分をもっと出したい、という感じ。
ギターで言うところ、全部を真剣に弾きすぎてしまってどうも空気や時間が真面目くさるところがある。
高田渡さんみたいにライブしたいなぁ、とも思ったりするのです。
それで、例えばお酒飲みながらライブやってみようとしたりするんだけども。それも酔いけど、
僕の場合、根本的にはギターをもっと練習するしかないんです。そこから生まれる余裕なんだから。
演奏や気持ちに「遊び」が出せたら、きっと見ている人ももっと楽しめると思うんですね。
けどその「遊び」を出すには僕の場合、まず相当上手くないと。
だから「遊びながら暮らす」のは容易なことではない、と僕は解釈したのです。
だから、おもしろかった。学んで、真似をして、上手くなって極めていった先に、
「遊び」だったり、「個性」だったり、気持ちが音にふっ、とシンクロする瞬間が続くんだろう。
そこを「音楽」と呼んだりするんだろう。そうなら、あぁ、もっとギターを弾こうと。
そんな風に、ライブを続けたり、レコードを出したりしたいですな。
四月が終わりました。また楽しくなりそうです。

冒頭、『旅人、遊び人』という話に、この本のすべて集約されとるような気がする。
「遊んで暮らす」ということがいかに困難なことか、が書いてあっておもしろい。
「遊ぶ」ということも、ディズニーランドやキャンプに行ったりするような「遊び」ではなく、
車のハンドルを左右きっても5度ほどタイヤの動かないハンドルの「遊び」の範囲、
レコーディング中に苦しまぎれに踊りを踊ったら、あら、なんかちょうどいい感じ、
といった、体が勝手に動いているような感覚、のことを言う、と。
それで自分も、あぁ、「遊び」の部分でギターが弾きたい、特にライブで、遊びたい、と思うのです。
正確に言うと、「遊び」の部分をもっと出したい、という感じ。
ギターで言うところ、全部を真剣に弾きすぎてしまってどうも空気や時間が真面目くさるところがある。
高田渡さんみたいにライブしたいなぁ、とも思ったりするのです。
それで、例えばお酒飲みながらライブやってみようとしたりするんだけども。それも酔いけど、
僕の場合、根本的にはギターをもっと練習するしかないんです。そこから生まれる余裕なんだから。
演奏や気持ちに「遊び」が出せたら、きっと見ている人ももっと楽しめると思うんですね。
けどその「遊び」を出すには僕の場合、まず相当上手くないと。
だから「遊びながら暮らす」のは容易なことではない、と僕は解釈したのです。
だから、おもしろかった。学んで、真似をして、上手くなって極めていった先に、
「遊び」だったり、「個性」だったり、気持ちが音にふっ、とシンクロする瞬間が続くんだろう。
そこを「音楽」と呼んだりするんだろう。そうなら、あぁ、もっとギターを弾こうと。
そんな風に、ライブを続けたり、レコードを出したりしたいですな。
四月が終わりました。また楽しくなりそうです。
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